『共産主義の信条表明』草案は22の問答体形式で書かれたが、同盟のブリュッセル班でも賛成が得られなかった。またモーゼス・ヘスは上記草案の修正案を提出する。エンゲルスはこれを徹底的に批判、同盟より新草案の作成を一任される。このため、エンゲルスは再び10月下旬から11月にかけて問答体の草案を書くことになった。これがいわゆる『共産主義の原理』である。以前の『共産主義の信条表明』草案が22の問答形式で書かれたのに対し、その後に書かれた『共産主義の原理』は25の問答になっている。服部文男の論考によれば、これらのエンゲルスの手書きの草案以外に、新たな別の案が作成されていた可能性がある。
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6月の第1回大会の半年後、同盟の第2回大会が1847年11月29日から12月8日にかけてロンドンで行われた(これにはマルクス、エンゲルスも出席している)。エンゲルスは大会直前の1847年11月23日付の書簡で「問答形式をやめ、共産主義者宣言という題」にする方がよいという趣旨をマルクスに伝えた。それに対し同盟幹部は1847年11月の組織再編大会で採択した規約において「党の名のもとに宣言を発布する」としていた。
ところがヨーロッパの革命的情勢がますます切迫したものになっていたにもかかわらず、マルクスの『宣言』執筆は遅々としていた。そのため1848年1月25日付の共産主義者同盟中央委員会(ロンドン)からブリュッセル地区委員会(マルクスである)に宛てた通信「1月24日の中央委員会決議」では、マルクスに対し新綱領となる『宣言』を2月1日までにロンドンに発送するように督促している。